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辞世の言葉

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源実朝

出でて去なば 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな

(訳:ここから出れば、主は無くなりますが、梅の花よ、嘗て咲き誇った春を忘れないで下さいね)

この和歌は、源実朝が鶴が丘八幡宮に詣でる前に詠んだとされている和歌です。この後、彼は刺されて死にます。非常に予言めいた和歌と言えます。

しかし現在では、この和歌が本当に源実朝の作品かどうかは真偽不明となっています。もしそうだとしたら、非常に予言的な和歌だと言えます。
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近松門左衛門


それ辞世 さる程さても その後に
残る桜の 花し匂はば

(訳:自分は死んでしまうけど、自分の浄瑠璃本が、世間に認められて支持され続けたら、それで結構。辞世の句なんぞしゃらくさい。)

近松門左衛門といえば、元禄の花。その彼が残した辞世の句。
なんとも元禄文化らしい、粋な言葉。辞世の句を笑い飛ばすその姿勢が、まさに彼らしいですね。

黒田官兵衛


おもひをく 言の葉なくて つひに行く
道はまよはじ なるにまかせて

(訳:この世に思い残すことは何もない。今は迷うことなく、心静かに旅立つだけだ)


「頭良すぎて、秀吉がひいた」

という秀逸なキャッチコピーで紹介される彼ですが、幸運に恵まれずに、最後は隠居し、将来を息子に託すものの、関ヶ原の戦いが思わず早く終わってしまい、天かを掴むことが出来ませんでした。

しかし辞世の句には迷いなく、この世をさることが告げられています。
潔い辞世の句といえるでしょう。

石川五右衛門


石川や 浜の真砂は つきるとも
世に盗人の 種はつきまじ

(訳:海辺に無数にある砂がなくなっても、世の中に泥棒がいなくなることはないだろう)

石川五右衛門の名前は、日本人には親しみが深いですね。
希代の大盗賊の彼は、秀吉の寝所へ忍び込んだところを捕縛され、釜ゆでにされてしまいました。

しかし辞世の句が残っている所が面白いですね。
この中にも”石川”などの自分を顕示する文章が、ある意味で彼らしくて、粋があります。

十返舎一九


「此世をば どりやおいとまに せん香と ともにつひには 灰左様なら」

東海道中膝栗毛で、有名な十返舎一九。

「この世をば、我が世とぞ思う望月の」

と、藤原家の栄華を詠った、藤原道長の歌をベースに、江戸の感覚に変換した歌ですね。
「線香と共に、ついひははいさようなら」全く以て、粋を体現した言葉に痺れます。