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辞世の言葉

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ドストエフスキー


君を残していくのがとても心配 だ。これから生きていくのが、どんなに苦しかろう

ロシアの小説家。「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」などで有名な作家。
彼は領主の息子として生きながらも、領民に父を殺され、その後、壮絶な人生を生きました。

そんな彼は、

「アーニア、僕はもう3時間もずっと考えていたんだが、今日、僕は死ぬよ」

と言い残した後、冒頭の言葉を残してこの世を去りました。
葬儀には約3万の人々が、修道院の教会堂まで棺のあとに付き従ったといいます。
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ヴィクトル・ユゴー


黒い光が見える

生きる為にパンを盗んだ男、ジャンバルジャン。
彼が神父と出あうことで更正し、孤児であるコゼットを育てる「レ・ミゼラブル」で有名な作家。

「君、死ぬのはつらいね」
「死んだりなさるものですか」
「いや死ぬね」

ベッドの中でそう問答した後、「ここで夜と昼が戦っている」と呟き、「黒い光が見える」といって亡くなった。この時、すざましい嵐がパリを襲い雷が鳴ったといわれている。

勝海舟


コレデオシマイ

明治維新後。
次々と亡くなっていく英雄たちの中で、唯一長く生き残った男。勝海舟。

彼は明治維新の裏側を、大胆に、ときに茶化した言葉を交えながら後世に残しました。
そんな彼がなくなったのは明治32年。

風呂から上がると座り込み、

「胸が苦しいからブランデーをもって来い」

と命じた後……、

「今度はどうもいけないかもしれんぞ」

といって一口飲んだ途端、「コレデオシマイ」と 呟いて死にました。
なかなかに言える言葉ではありませんね。

南方熊楠


私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお 前達も休んでくれ。

明治期の天才、南方熊楠。
彼は夏目漱石と同時代に生きた彼は、18もの言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれていました。

イギリス滞在時には、大英博物館で働き、喧嘩をして帰国。
その後、細菌学者として活躍した知識の巨人。

「天井に美しいおうちの花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死ん でるから、朝になったら葬ってやってくれ」

死の前にそんな言葉を残した後、前述の言葉を吐いた翌日に亡くなりました。

岸田劉生


バカヤロー


自身の娘である、「麗子」をモデルとした絵が有名な岸田劉生。
絵からはうかがい知ることが出来ないが、激しい性格の持ち主であり、非社交的でもあった。

そんな彼の最期の言葉はある意味、彼らしい「バカヤロー」。
医師から慢性腎臓炎と診断され、「暗い」、「目が見えない」等と叫び、頻繁に人生に対して罵詈雑言を繰り返し、死亡した。意外にも若く38歳だった。