2014/12/12 Category : 辞世の言葉 ドストエフスキー 君を残していくのがとても心配 だ。これから生きていくのが、どんなに苦しかろう ロシアの小説家。「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」などで有名な作家。 彼は領主の息子として生きながらも、領民に父を殺され、その後、壮絶な人生を生きました。 そんな彼は、 「アーニア、僕はもう3時間もずっと考えていたんだが、今日、僕は死ぬよ」 と言い残した後、冒頭の言葉を残してこの世を去りました。 葬儀には約3万の人々が、修道院の教会堂まで棺のあとに付き従ったといいます。 PR
2014/12/11 Category : 辞世の言葉 ヴィクトル・ユゴー 黒い光が見える 生きる為にパンを盗んだ男、ジャンバルジャン。 彼が神父と出あうことで更正し、孤児であるコゼットを育てる「レ・ミゼラブル」で有名な作家。 「君、死ぬのはつらいね」 「死んだりなさるものですか」 「いや死ぬね」 ベッドの中でそう問答した後、「ここで夜と昼が戦っている」と呟き、「黒い光が見える」といって亡くなった。この時、すざましい嵐がパリを襲い雷が鳴ったといわれている。
2014/12/10 Category : 辞世の言葉 勝海舟 コレデオシマイ 明治維新後。 次々と亡くなっていく英雄たちの中で、唯一長く生き残った男。勝海舟。 彼は明治維新の裏側を、大胆に、ときに茶化した言葉を交えながら後世に残しました。 そんな彼がなくなったのは明治32年。 風呂から上がると座り込み、 「胸が苦しいからブランデーをもって来い」 と命じた後……、 「今度はどうもいけないかもしれんぞ」 といって一口飲んだ途端、「コレデオシマイ」と 呟いて死にました。 なかなかに言える言葉ではありませんね。
2014/12/09 Category : 辞世の言葉 南方熊楠 私はこれからぐっすり眠るから、羽織を頭からかけてくれ。ではお 前達も休んでくれ。 明治期の天才、南方熊楠。 彼は夏目漱石と同時代に生きた彼は、18もの言語を解し「歩く百科事典」と呼ばれていました。 イギリス滞在時には、大英博物館で働き、喧嘩をして帰国。 その後、細菌学者として活躍した知識の巨人。 「天井に美しいおうちの花が咲いている。医者が来るとその花が消えてしまうから呼ばないでくれ。縁の下に白い小鳥が死ん でるから、朝になったら葬ってやってくれ」 死の前にそんな言葉を残した後、前述の言葉を吐いた翌日に亡くなりました。
2014/12/08 Category : 辞世の言葉 岸田劉生 バカヤロー 自身の娘である、「麗子」をモデルとした絵が有名な岸田劉生。 絵からはうかがい知ることが出来ないが、激しい性格の持ち主であり、非社交的でもあった。 そんな彼の最期の言葉はある意味、彼らしい「バカヤロー」。 医師から慢性腎臓炎と診断され、「暗い」、「目が見えない」等と叫び、頻繁に人生に対して罵詈雑言を繰り返し、死亡した。意外にも若く38歳だった。